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じつはぼくのくぼはつじ

老いを認める日々のブログ

    いつ死んでも構わないのだけれど、あと五十年は生きていそうなので、、、


 intermission


    いやなにね、奥さん、、、昨夜映画を観ていたらこの言葉が出て来たものだから、、、これも長いブログ人生必要かなと思いましてね!?

 昨夜は遅くまでデニーロの「ワンスアポンアタイムインアメリカ」を見ていた。見終わったらすぐに眠れば良いものを誰の為とも何の為とも分からぬ妙な義務感からブログらなければとアメブロを開いた。何も書くこと思い浮かばず、されば伝家の宝刀過去の闇に葬った保存記事をアップするべく選択作業に入った。小半刻後、意に沿うものをアップしたものの、朝目覚めて意に沿うた筈の記事が意に沿わぬ記事と変化している事に気づき再び保存記事として闇に葬る。


 相も変わらず、わけの分からぬ動きをする爺なり。




 おばさんやおばあさんは、わりと娘なんかと一緒に出歩いている。で、あの娘は将来あんなふうになるのかとか、おばさんの若い頃はあんなふうだったんだろうなとか母娘を見て想像出来る。


 ところがおじさんやおじいさんは一人で歩いていることが多いので、おじさんはずーっとおじさんをやっていて、おじいさんはおじいさんをずーっとやっているように見えてしまう。一人歩きのおじさんやおじいさんには過去も未来も無いように見える。

 うちの店に来るおじさんやおじいさんのお客も一人で来る人が多い。おばさん客のほうは子供と一緒が多いのに男親は一人が多い。

 おばさんやおばあさんにくらべて、おじさんやおじいさんの若い頃の姿を想像することは上記の理由からなかなか難しい。でも、おじさんやおじいさんにも華やかだった若かりし頃の過去の姿があったはずだと思う。

 ハゲでデブで臭いおじさんにも、入れ歯ふがふが目ぇ~しょぼしょぼのおじいさん(自分のことです)にも光り輝く栄光の時は確かにあったのだ。自分のことを語れば、いまの姿からはとても想像できないだろうけどミックジャガーのようなときだってあったのだ。多分、少しだけ、ほんのチョビット!

 クソー、俺だって、俺にだって!!というわけで、きょうはストーンズです。
 
 紫色のTシャツ。首には皮のチョーカー。ベルボトムのLeeのGパン。長髪風になびかせ(チュルチュル天パーだからなびかなかったけどね)夜な夜な×2ぐらいディスコに行ってた。んで踊ってた。それもコペンハーゲンではーげんでいた。「Revolution」って店だった。きゃっこいかった(嘘)。モテタ(嘘)。

 こうしておじ(い)さんの栄光の時はなぜか嘘にまみれてしまうけど、どうせ誰もまともに聞いてくれないからおんなじことなんだよね~(涙)

2012.10の記事








 船乗り=男の世界=マンダム=ブロンソンで、マンダムのCMを載せようと思ったのだけど、どうもイメージが違う感じがして、男の世界=任侠=木枯し紋次郎となって主題歌を聴いたのだけど、どうもこれもピンと来ない。

 ところで今日はぼくの店、予想外の売り切れで早仕舞い。そこで昨日の続きを書こうと勇んで帰って来たのだけど、風呂に浸かって久しぶりにのんびりしたら気が抜けてしまった。で、気楽に船員の頃のことでも書いてお茶をにごそうかなと考えてパソコンに向かったのだが、ぼくが書こうと思っている文章(というほどのものではないけど)に合う曲が見つからない。なんとその作業に2時間掛けたけど、しっくりの曲が無い。最初に戻って、マンダム→紋次郎に行ったところで関連動画の中にあった曲が、これ!!
 
 ぼくが今から書こうと思っている内容とはいずれにしても関連が無いけど、まあ男同士の画ではあるし、友人のゲンさんや妻も好きなドラマだったみたいなので載せることにしました。

 で、きょうの雑談。
 たとえば夕飯のオカズなんかの事でケチをつけると言うか注文めいたことを言うと、きまって父親に「男は食べ物の事なんかでゴチャゴチャ言うな」と叱られた。「男子厨房に入らず」とも諭された。小さい頃始終そう言われて育ったおかげで、ぼくは食い物についてゴチャゴチャ言う男は嫌いだ。腹が減ってりゃなんでも美味い!!これが食物にたいする基本姿勢だ!!それでいいのだ!!イージーなのだ!!

 えーっと!?そうそう「男の世界、船乗り」の話しでした。

 船乗りと言う言葉がロマンチックな響きをもって迫って来ると感じるのは、ぼくだけではあるまい。大海原!昇る太陽!沈む夕陽!波にもてあそばれる木の葉の様に、板子一枚地獄の船で起居を共にする男の世界!ウイスキーのボトルが、そしてグラスが激しい横揺れとともに右に左に滑るテーブルを挟んで、よれよれの両切り煙草を口に咥えた男達が談笑しカードゲームに打ち興じる。下卑た笑い、ヤニ臭い息、したたる汗!!

 ぼくはそんな現代の野蛮を夢見て船に乗った。

 無いのですね、そんなもの。漁船、とりわけマグロ漁船にはそんな感じが残っていたのかも知れないけど、ぼくの乗ったカーゴ(貨物船)にはまるで無かった!

 陸(オカ)と一緒、あるいはそれ以上にちまちました世界なのですね、これが!?
 
 凪の日でも、食堂に集まる船員はテレビが映る間はテレビを見ている。酒なんかもチョビットしか飲まない。海が時化でもしたら船のリビングでもあるその食堂に誰も居ない。

「気持ち悪ぅないんか?お前?」
 用足しに起きて来た甲板長の言葉を聞き流し、右に左に滑りまくるボトルとグラスを見つめながら、ぼくは夜っぴて一人寂しく飲んだものだ。

 完全にサラリーマン化された社会でした。

 そして船上という狭い空間に閉じ込められた船乗りという名のサラリーマンは、やれオカズはいつも変わり映えがしないだの、ごはんが柔らかいだの硬いだの、味が濃いだの薄いだのと言っては、ボーイやオヤジさん(副コック)にねちねち文句を言うのだった。

「食い物の事で、男はゴチャゴチャ言うな!!」
 青白い肌の若者は褐色の船乗り達に向かってそう叫ぶと、照りつける日に焼かれた甲板に駆け上がり、東シナ海の青い海に飛び込んで消えた。


2012.11の記事





    何故この曲かというと、昨日"老いらくの恋"などと小生無縁の言葉を使ったところ"恋"という語彙だけが脳内に残り、今日一日"恋"に関する様々な思いが心をよぎったわけでありまして、まあこの曲は、なんちゅうか初恋の頃に聴きおおいに励まされたフレーズがあって、それを思い出したというわけであります。そのフレーズがどこかというと、、、

♪恋の手管(てくだ)にかけたなら〜誰にも負けないボクだもの♪

    このフレーズを何度も口ずさみ、初恋の相手にエアーアタックを仕掛けていたわけであります。

♪オニオリン♪ ^_^

恋の病と新型コロナは似てる


どちらも特効薬が無い


老いらくの恋は重症化しやすく若者は

失恋の痛手からの立ち直りも早い

戯れに恋はすまじと言うけれど

戯れてコロナに罹らぬよう年寄りは

自制自粛の用心肝要^_^!




「墓場に近き 老いらくの恋は 怖るる何ものもなし〜川田順」

「老いらくの恋 笑わば笑え 穴二つ〜くぼはつじ^_^」




 



    やきもち


                          猫は神秘な伴侶〜マラルメ

                           



手の中に居て居ないような猫を抱くと


手の中に居たがる犬が「わんと吠える



猫とわたしは笑いをこらえる




2013.1の記事


耳を澄ますと水の流れる音が聞こえる。
暗渠となった川が地下を流れているのだ。
真っ暗な空間を黒い液体が光を求めて動く。

朝も、昼も、夜も
休むことなく
絶えず。


じつはぼくの久保はつじ



2012.4の記事
                          


本日は休養日。

爺さんの皺写真、絵ヅラが悪いので没収。