ナカハラナカヤ | じつはぼくのくぼはつじ

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老いを認める日々のブログ

    本屋大賞という文学賞があるくらいだから、今も本屋の店員さんは本好きが多いのだろう。わたしが1960年代半ば頃働いていた本屋さんにも本好きが集まっていた。各自ばらばらにとる休憩時や昼夕食時にそれは見てとれた。社員もアルバイトも無駄話もせず本を読んでいた。そんな本屋さんに、文学とは無縁なわたしが紛れ込んだ。そもそも本屋さんで働こうと思うのは、本が好き、文学が好き読書が好きという方が多いと思うのだが、わたしはそういった動機もなしに本屋さんに飛び込んだ。昼間学校に行っていたので夜働ける場所を探していて、偶然見つけた本屋さんだった。
    それまで働いていたのはガラス瓶工場、靴屋、ラーメン屋、ホテル厨房皿洗い、どれも長続きはしなかった。ホテルの皿洗いなどは、一日で辞めてしまっていた。ガラス瓶工場は三日、、、。本屋も多分長続きはしまいと内心思っていた。というか大学生向けのアルバイト募集だったので、高校二年の自分は受かるまいと思っていた。それがなぜか受かり働き出した。学校が終わってから閉店十時まで。何時からは定めないけど必ず毎日出て来ることを、マドロスパイプを咥えた少し小太りでダンディな書店主に約束させられた。
「高校生は初めてだけど、君が気に入った」

    仕事は楽しかった。見る事する事やる事、すべて新鮮だった。かなり大きな駅前書店だったのでお客に尋ねられた商品が何処にあるかを覚えるのは大変だったが、ひと月もすると本のタイトルを聞いただけでその場に案内する事が出来た。慣れて来ると背表紙を見て「この本はこんなタイトルだけど、一体どんな本なんだろう」と想像する楽しみも出来た。

    ある日「中原中也〜山羊の歌」という文庫本が目にとまったが、手にとってページをめくる暇はなかった。気になるタイトルだったので休憩時間に、たまたま一緒だったアルバイト大生に尋ねた。
「山羊の歌って本、ナカハラナカヤって知ってます?」
    すると大学生は露骨に軽蔑の色を目に浮かべ「ナカハラナカヤ?久保くんは、なかはらちゅうやも知らないのか?」と言われた。わたしは自分の顔が赧く染まるのを感じるほど上気しながら「ナカヤじゃなくってチュ、チュウヤって読むんですね」と答えて黙り込んだ。